第68回国体の硬式テニス3日目に、
鍼灸コンディショニングチームで参加することができました。
2011年の震災後に気仙沼PCATでごいっしょしたときのK先生からのご縁でした。
あの時以来、一度もお会いもお話もしていなかったのですが
SNSでたまたま目にした投稿を、なんとなく気になってお声をかけました。
事前研修会があり、足を運ぶと講師で登場したのが
母校でお世話になった、これまた別のK先生でした!
母校は伝統校だったので、当時は著名な伝統鍼灸の先生方が多く指導しており、
もちろんそれに多大に影響を受けましたが
K先生はどちらかというと現代医学的な鍼灸でわたしに「格言」を残してくださいました。
「国家資格であるからには免許をとったら、国民のために一日でも早く尽くしなさい」
この言葉がどうにもこうにも心にすっぽり入ってしまい、
いつもどこかで気にしてきたように思います。
鍼灸師は独立開業権があるので、
自分の治療院の中だけで完結しようと思えばできてしまいます。
しかし、K先生は当時から、鍼灸が一般に広く根付くように
活動されていたように記憶しています。
K先生は高校卒業後すぐに鍼灸学校に進み、さらにすぐ開業。
そのとき弱冠21歳。
待てと暮らせど、患者さんが来ない日々。
師匠にもつかず、若かった自分はなす術がない。
どうにか興味を持ってもらおうと、患者さんもいないのに
お灸の煙を窓から放ったり、涙ぐましい努力を重ねるもやはり生活できるようにならない。
そこで思い余って街に繰り出したそうです。
公園や競技場でスポーツしている人と顔見知りになることからはじめ
やがて、その様子を撮影させてもらえないか頼む。
撮影したものを持って、どうしたらよりスポーツをしやすい身体になるのかを無償で提案。
同じことをコツコツ繰り返し、信頼を得ていったという話を聞き
あまりにも正直な健気ながんばりに心を打たれました。
もし神様がいるのなら、これは応援せずにはいられんやろうなと思いました。
在学中、K先生の治療院で研修させていただきましたが
先生と奥様の2人で4つのベッドをフル回転し、
診察終了時間まで患者さんが途絶えることはありませんでした。
そんなK先生をはじめ、東京都鍼灸師会の方が、国体側と交渉し
今回、大会のサポートをできるようになったという経緯をうかがうことができ
はじめて「有難い」という思いがこみ上げてきました。
機会があったから参加する。そんな受け取り方をしていましたが違いました。
何ごとも、目に見えない、人には気づかれない「誰か」の尽力がある。奮闘がある。
自分はもらえなかったのに、後進のために道を拓く。
こうした先輩らの愛をいっぱいに浴びることができ
わたしにとっては思いがけず深く癒される場になったのでした。
直感って侮れませんね^^
樂庵 かなざわ
RAKUANのおしごと